
捕鯨の是非とは──
帰結しない対立の行方
古来より人類は、地球上に生息する様々な生命を糧としてきた。土地の風土や文化、生態系、あるいは信仰によって、口にするものはそれぞれ違うが、基本としては食物連鎖という自然の摂理であり、どの食文化も否定されるものではない。鯨もその文化のひとつだ。現在の捕鯨問題における対立は、文化価値観の相違から発展したが、互いの文明、文化への理解が足りないがためのものだ。
捕鯨における反対、賛成の対立は長年にわたり繰り広げられているが、今なお緩和の兆しはない。対立をみせるのは、日本やノルウェーなど、古来より鯨肉を食してきた捕鯨文化圏と、グリーンピースやシーシェパードに代表される環境保護団体。様々な議論が飛び交う捕鯨の是非を問うためには、まず、大きな齟齬が生じている両者の理念を聞き、理解することが肝要である。
日本捕鯨協会によると、現在確認されている鯨類は、84種類にも及び、個体数がやや減少しているカワイルカなどはいるものの、現状、絶滅の危機に瀕している鯨は実質いないという。かつて乱獲の対象となったシロナガスクジラやセミクジラもいまでは、IWC(国際捕鯨委員会)の保護下にあって絶滅の危機にはない。また、ミンククジラやマッコウクジラのように、個体数が豊富に存在する鯨種も確認されている。
現在日本が行っているのは、調査捕鯨と呼ばれ、それは、鯨の生態や生存数などを明確に把握するためのものである。
調査捕鯨を行う理由は二つ。はるか昔より鯨肉を食してきた食文化と伝統を守ること、そして、海の恵みを貴重な資源とし、有効活用していくためである。科学調査とその目的のための捕鯨は、国際捕鯨条約の規定により、各国政府の固有の権利として認められており、捕鯨禁止措置は適用されない。また、捕獲の対象を豊富なミンククジラと定め、必要最低限の頭数に留めている。
この調査捕鯨では、意味のある成果を得るため、致死的調査が不可欠である。しかし、調査とはいえ捕殺していることが、反対派の感情を逆撫でしているのかもしれない。また、調査の副産物を有効利用することは、義務であると定められており、市場に鯨肉が出回ることがある。これが反対派から、擬似商業捕鯨だと指摘され、つまりは鯨肉欲しさに調査という名目をつけていると誤解されているのだ。
捕鯨推進派と反捕鯨派の対立構造の渦中で、ひときわアグレッシブな活動を繰り広げている団体、シーシェパード。船体を漆黒で覆い、なぜか海賊旗を掲げている軍艦さながらの旗船は、見た目からしてすでに攻撃的で、海賊映画に登場していてもなんら違和感はない。だが、彼らの実状は、明確な理念を掲げる環境保護団体なのである。
彼らが掲げる使命を見てみると、「海洋生物を殺傷行為から守り、彼らの生息地である海洋エコシステムの保全に取り組むこと」、「公平な立場で、国際自然保護法を駆使して活動しており、次世代に美しい自然環境を残すため、必要に応じて調査、記録し、直接介入も行う」とある。立派な理念である。だが、暴力という力任せのやり方では、溝が深まるばかりである。
伝統と文化を受け継ぎ、鯨と共存していくべく捕鯨に取り組む人たちがいる一方、妨害を仕掛けてくる反対派も、己の矜持を断固全うするという姿勢を崩さない。あくまで「“違法"な捕鯨活動に反対している」とする反捕鯨派と、「“合法的"に行っている」と主張する捕鯨推進派。そんな両者が互いに、一切の緩みをもたぬ鉄のカーテンを敷いて相手の意見を遮断しているから、対立がなかなか帰結しないのである。
個人的に、捕鯨に関する賛否の思想は自由で良いと思うが、それを表現する方法は熟慮する必要がある。当然ながら、暴力による思想の押しつけは決して許されるものではなく、問題の解決は遠ざかるばかりだ。時間がかかるとは思うが、稚拙ながら、話し合いが肝要だ。当の鯨も交えて議論ができれば卓に人は集まるが、なかなかそういうわけにもいかない。中立の立場をとる第三者が介入して、出す方向を間違えた矛を納めるように導いていくしかない。すでに怪我人は出ている。問題解決に、各国が本腰を入れるべき時が来ている。