
大石 まずは桑原社長の歩みをお聞かせください。
桑原 大阪で生まれ育ち、学業修了後、システム開発を手掛ける会社に就職しました。そちらは取引先の企業に出向してシステムを構築するという業務形態で、入社当初は右も左も分からない状態でしたが、慣れるに従って「これは私の天職だ」と思うようになりましてね。その会社には結局14年ほど勤めました。
大石 天職だと思われていた会社をどうして退職されたのでしょう。
桑原 仕事としてはまさに「天職」と感じていましたが、そちらの会社で働き続けることに疑問を持ったのです。と言いますのも、勤務先は業界最大手で、スタッフが8千人ほどいる会社でした。勤め続けていれば、給料は安定していましたし、倒産する心配もありませんでした。しかし、入社して11年くらい経ったころから上が見えてきた、とでも言いましょうか。常勤や受託という形で仕事をしている限り、その受注金額以上の報酬はもらえないと気付いたのです。それに色々とやりたいこともありまして、それには「社長」という肩書きが必要だと感じ、退職を決意しました。
大石 では、退職されてすぐこの会社を立ち上げられたのでしょうか。

桑原 いえ、まずは仲間と共に大阪でシステム開発の会社を立ち上げました。その会社の創設スタッフは優秀な人が揃っていましたので、当初から比較的順調な経営が保たれ、2000年には東京支社を出すことに。その地ならしのために私は上京してきたのですが、東京は大阪より仕事量も多く、また仕事もやりやすいと感じましてね。結果的に私は自分の会社を創ろうと決心し、04年に独立したのです。そして06年、株式会社に組織変更しました。
大石 現在、法人向けコンピュータソフトウェアの開発やオリジナルパッケージソフトの開発を手掛けておられるそうですが、御社の特徴と言いますと、どのような部分でしょうか。
桑原 当社の主役は社長でも営業でもなく、エンジニアなのです。エンジニアが主役ということは、すなわち“技術者集団”を理想に掲げているということ。そのために私は、スタッフが成長しやすい環境をつくっています。スタッフが日々成長できる会社であってこそ、お客様に満足していただける技術を提供し続けることができると考えていますから。
大石 素晴らしいお考えです。現在、スタッフは何名いらっしゃいますか。
桑原 私を含めて18名です。2年くらい前まではわずか4名でした。この2年で一気に増員したんです。
大石 著しい成長ですね。それだけ仕事量も増えているということでしょう。
桑原 ええ。ありがたいことに、仕事は途切れずいただいていまして、人手が足りなくて困っているほどです。計画としては近いうちに、2年前の10倍──40名まで増やしたいと考えています。闇雲に増やしているわけではなく、今構想している将来の計画を実現するためには、これだけの数が必要なんですよ。
大石 その構想というのをお聞かせ願えますか。
桑原 三項目あり、まず第一に、当社は現在、二次・三次受けで仕事をいただいておりますが、なるべく一次受けで頂戴できるよう、信頼構築に努めたいと思います。そして第二に、当社の現在の業態は「派遣」または「請負」で、取引先にスタッフを出向させ、その労働時間への対価が報酬となっていますが、これを自社で業務が行える「受託」の形で受注し、効率化を図りたいと考えています。そして第三に、2年後を目処にパッケージ事業を立ち上げ、5年後には他の事業を支えていける規模にしたいと思っています。それらの目標に向かって、今は一心不乱に走っているところ。その実現のために、私は会社のマネージャーとして、人の管理を行うのではなく、プロジェクトマネージメント──人の管理を含め、システムを取り巻くリソースの管理を心掛けたいですね。
大石 本日はありがとうございました。

▼現在、『ファーストステップ』には桑原社長を含めて18名のスタッフが所属しているが、設立以降、退職者はわずか1名だという。人の入れ替わりが激しい業界で、多くのスタッフが長く勤めてくれていることを社長は率直に喜ぶが、それを「偶然」と片付けてしまうのは誤りだ。
▼桑原社長はスタッフが働きやすい環境づくりに力を注いでいる。束縛された環境・強制的な社風・やり甲斐のない仕事──そんな状況では人は成長できない。スタッフには伸び伸びと働き、そして自由な発想で色々なことにチャレンジしてもらいたいと社長は思っている。
▼また、「個人の能力の高低より、その成長幅を重視したい」というのが社長の考えだ。社長は常々スタッフに対し、「人と自分を比べる必要はない」と話している。一方で「1年前の自分と比べてどうか」とスタッフに問う。現状維持は後退に同じ──そのことは、人間の成長にも会社の成長にも言える。
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