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人との出会いを原動力に |
| 着実に成長を遂げる |
羽田 まずは社長の歩みからお聞かせ下さい。ご出身は?
浅野 静岡県に生まれましたが、3歳で東京都に移りました。そして19歳のときに父が経営する会社に入社し、日本全国の在日米軍基地で営繕工事を手掛けていたのです。そちらの会社に勤めながら夜間は大学で勉強し、宅地建物取引主任者の資格も取得しました。しかし不景気の煽りを受け、父の会社は解散。そのため内装工事の会社に転職し、改めて技術の習得に励んだのです。そして3年後の平成15年に、取引先などからの勧めもあって同業で独立を果たした次第です。
羽田 決して景気が良い時期ではなかったと思いますが、滑り出しはいかがでしたか?
浅野 確かに厳しい時期でしたが、一つひとつの現場において「確実に仕事を完遂する」という強い意志を持って臨んできたことで、徐々に軌道に乗せてくることができました。そして何より、お取引先と密にコミュニケーションを図ったり、協力業者と上手く連携を取ってきたことが奏功したと思います。やはり今振り返ってみると、人とのつながりを大切にしてきたからこそ、今日の当社があると感じていますね。それにこれまでには友人や先輩、お客様など、多くの方に助けてもらいましたので、経営者という立場になって改めて、「自分一人では生きていけない。多くの人たちの助けがあるからこそ生きていける」と心から思えるようになりましたね。
羽田 従業員の方々も御社にとってとても大切な存在なのでしょうね。現在は何名の方が在籍していらっしゃるのでしょう。
浅野 設立当初は3〜4名だったのですが、現在は19名まで増員することができています。当社で部長を務めている者は青森県からこちらに出向いてきたときに知り合い、地元から優秀な従業員をたくさん集めてくれましたし、私が青年会議所で活動していたときに知り合った者はとても良い働きをしてくれています。さらに平成18年からは中国から研修生も受け入れているのですよ。
羽田 経営者として5年ほど経験を積んでくる中で、多くの出会いに恵まれてこられたのですね。研修生の受け入れという珍しい取り組みは、どのようなきっかけでスタートされたのですか?
浅野 当社で税務顧問を担当している友人の紹介がきっかけで、「国際研修協力機構」から研修生を受け入れられることになったのです。現在日本の若者の労働力は減少傾向にあるため、外国人を受け入れることで労働力の充実を図っているのです。あくまでも研修生ですので、期間は3年間と限られていますが、1年間につき3名は受け入れられるように調整を図っています。
羽田 研修生の方にとっても貴重な経験となるでしょうね。
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全社一丸となって切磋琢磨し合い |
| さらなる高みを目指す |
羽田 人とのつながりによって人材に恵まれてこられたようですが、育成についてはいかがでしょう。
浅野 一番大切なのが人材育成だと考えていますから、先輩から後輩へとしっかりと技術が受け継がれていく体制を構築していきたいと考えています。そして当社としては、技術面だけではなく人間性の面でも伸ばしていくことができればと考えていますので、従業員に対して1つの指針を示しています。
羽田 それはどのような?
浅野 「マイナスからゼロに戻るための努力を一生続けていこう」という指針です。自分はプラスだと思うと考え方が傲慢になってしまいますから、私は「自分たちはまだマイナス。ゼロに戻るために一緒に頑張っていこう」という謙虚な考えで、日々成長していくことを目指していこうと話しているのです。
羽田 謙虚な姿勢がなければ成長はありませんからね。最後になりましたが、今後の展望をお聞かせ下さい。
浅野 やはり出会いが当社を創り上げてきたと実感していますから、「一期一会」を大切にしながら「全国に人の輪を広げていきたい」と考えています。仕事に限らず人とのつながりというかけがえのないものに最も価値を置き、そのつながりの上に仕事が生まれていけばと考えているのです。
また当社には青森県から出稼ぎに来ている多くの従業員がいますから、彼らの頑張りに報いるためにも1年に1回は地元青森での現場を手掛けさせてあげたいです。そしていずれは青森営業所を立ち上げることが夢ですね。また、今後さらに従業員の能力を引き出してあげられるだけの環境をしっかりと整備していきたいと思います。 |