布川 まずは社長の歩みから。
富永 私は広島県出身で、中学3年生のときに親の転勤に伴って大阪へと引っ越しました。そして、高校時代にバイクの免許を取得したことからバイクレースに興味を持ち始め、それ以来レーサーに憧れるようになったのです。そのため、高校卒業後に進学した専門学校もレーサーになる夢を叶えるべく中退し、先輩たちの作ったバイクチーム「RTS」へと入りました。それからは、レースで優勝するような先輩たちに認めてもらうべく練習に明け暮れ、バイクレースの資金をアルバイトで稼ぐ日々が続いたのですが、しばらくして肩を骨折。経済的事情も重なってバイクの世界は諦めざるを得なくなり、それがきっかけで営業の仕事を始めました。ただ、バイクチームで学んだ努力の大切さや考え方、経験は人生の基礎となり、今も私の中に息づいています。当社の社名である『RTS電子』も、バイクチーム「RTS」の遺伝子をいつまでも大切にしていきたいという思いを込めて名付けました。
布川 御社の社名にはそのような由来があったのですね。ところで、最初はどんな営業をされていたのですか?
富永 長距離電話サービスの営業です。その後、そのサービスの母体である不動産会社の社長さんの紹介で別の不動産会社に転職。そちらで何千万、何億といった土地の仲介を扱うようになったのが、自分の仕事に対して自信を持つことにつながりました。そしてあるとき、中古カラオケ機器の販売を手がける業界大手の会社からお誘いを受けて、カラオケ業界へと入ったのです。そちらでは、私の売り上げが会社全体の中で3分の1を占め、次第に営業だけでなく募集広告や面接など経営面の仕事にも携わらせて頂きました。そのときの経験はとても貴重な財産となっていますね。
布川 1人で売り上げの3分の1というのは凄いですね! でしたら御社の設立は、満を持しての独立だったわけですから、順風満帆だったでしょう。
富永 そうでもありませんよ。営業のノウハウを持っていたとはいえ、準備もままならないうちにすぐに行動に移しましたし、資金もそれほど貯めていなかったので、資金不足や人材不足などへの不安は大きかったですね。それに、この場所を借りたのもまだ大阪で働いていたときで、実は現地や外観、内装も見ていないまま決めてしまったんですよ(笑)。当時はそれぐらい勢いづいていましたね。ただ、大阪ではやり残したことがないという気持ちはありましたし、商品の販売力という点での不安はありませんでした。むしろ、新たな場所で自分の力を試せることに対する高揚感の方が大きかったですね。
布川 カラオケ業界は、時代に伴って大きく変化していますよね。
富永 ええ。昔はカラオケといえばスナックなどで楽しむレーザーディスクが主流でしたが、バブル崩壊のころから急速に通信カラオケが普及し、カラオケボックスで誰もが気軽に楽しめる娯楽となりました。また、近年ではカラオケ機器の本体だけでなく、画面もブラウン管から液晶テレビへと変化するなど、本体に付随するハード面でも拡充が図られています。そうなると、一般ユーザーの方は今まで以上にカラオケを楽しめて嬉しいことなのですが、それを扱う業者さんやカラオケ店さんにとっては新たな負担が増すわけです。そこで当社では、そのような負担を少しでも軽減できるよう、中古や未使用のカラオケ関連機器を業者さんから仕入れて、それをできるだけ安くカラオケ店さんに卸すようにしています。そうすれば、新品では価格的に合わなくても、中古でなら仕入れたいというお店にも卸せますからね。
布川 目先の利益だけを追うのではなく、お仕事を通じて業界全体の発展に寄与されているわけですね。
富永 また、お店がカラオケ関連機器を処分する際は全てまとめて引き取り、業者さん側の負担を少しでも軽減できるように取り組んでいます。そして、ウイン・ウインの関係を築き、業界全体を盛り上げていければと考えております。
布川 今は廃棄するにもお金がかかる時代ですし、手間のかかる部分もまとめて引き受けて下さるのはありがたいことだと思います。
富永 そうですね。値段的にもできる限り高値で買い取りますので、多くのお客様から喜んで頂ければと取り組んでいます。こうして良い関係を築いていくことが次の仕事につながり、結果的にお客様からの信頼にもなると考えています。
布川 それでは最後に、これからの夢を。
富永 会社を立ち上げるまでは不安もありましたが、妻をはじめとした周囲の方々の支えもあって何とか順調に事業を展開してくることができました。その方々のご期待に応えられるように、これからもお客様の立場に立ったサービスを提供し、少しでも喜んで頂けるように頑張っていきたいと思います。 |