大石 まずは社長の歩みから伺いたいと思います。社会人の第一歩は?
納富 大学卒業後は「日立ソフトウェアエンジニアリング」に就職し、ネットワーク系パッケージの開発に携わっていました。大きな括りで言えば、今行っているシステム開発と同じですから、かれこれ20年以上この道一筋に歩んできたことになります。
大石 20年前と言いますと、インターネットもまだ普及していなかったころですよね?
納富(眞) そうですね。インターネットをはじめ、情報産業がまだ発展する前の草創期でした。私もそちらで働いていたのですが、私が四苦八苦していたプログラムの問題も夫は一発で解決するなど、そのころから抜きんでた技術を持っていたのですよ。
大石 では、当時から将来的には独立を視野に入れておられたのでしょうか。
納富 いえ、独立を考えるようになったのは、米国のイリノイ大学に留学してからです。私は会社が学費も生活費も出してくれる社費留学という形で渡米したのですが、中国やインドなどから集まって来たクラスメイトたちは、みんな片道切符で人生を賭けて来ていました。彼らには、人間としての迫力が備わっていると感じ、職をはじめ全てが保証されている自分との覚悟の違いに愕然としましたね。そして語り合い、刺激を受けるうちに「大きな会社に身を委ね、安心しきっていてはだめだ」と思うようになり、独立を視野に入れるようになったのですよ。
大石 そこが人生の転機だったのでしょうね。ではその後は?
納富 独立を決意したものの、私に投資してくれた「日立ソフト」には感謝の思いがありましたので、帰国後も5年間勤めました。その後外資系企業に転職し、大手外車メーカーの日本導入プロジェクトでシステムを担当したり、「日立ソフト」時代の上司とともにベンチャー企業の立ち上げに参加させて頂くなど、幅広い経験を積んできました。「40歳までには独立を」と考えていたのですが、結局5年遅れて、やっと平成18年に当社を立ち上げた次第です。
大石 満を持してのスタートとなったわけですね。会社としてのコンセプトなどがあればお聞かせ下さい。
納富 大人数ではなくとも本当のプロフェッショナルだけを集めた、レベルの高いシステム開発を行う会社にしたいと考えています。社名に「匠」という字を入れたのも、技術を追求していきたいという思いからなのですよ。
大石 なるほど。この道一筋に歩んでこられた社長ならではの信念が感じられますね。
納富 ITは急速に進んだと言われていますが、実際にはこの業界はまだまだ未成熟なところが多いのです。納期や予算などの諸条件が開発前に予定していた通りに満たされることは本当に希で、大抵は完成時期が大幅に遅れたり、根本的に本来の目的とは違った形に出来上がったりすることも多々見られます。
大石 どうしてそのような現象が生じるのでしょう。
納富 最も大きな原因は、クライアントと開発者との齟齬です。どんな問題にしろ、本当に求められているものは何かを把握しなければ的確な解決策は見い出せません。システム開発には単なる技術だけではなく、クライアントが何を求めているのかを汲み取る力が必要なのです。
そして業界としても、開発基準が確立されていないところに問題があります。たとえば家を建てるのであれば「ここに柱がなければならない」といった大前提があるでしょう。システム開発においても同様の絶対条件は存在するのですが、クライアントに「ここの柱を取り除いてほしい」と言われれば、多くの技術者は無理をしてでも取り除いてしまうのです。そうすると最終的につじつまが合わなくなって不具合が生じてしまいます。ですから、柱を取り除くよりも「そこに柱があっても工夫して快適に過ごせるような方法」をクライアントと話し合いながら探していくことが大事なのですよ。
大石 個々のコミュニケーション能力と、業界全体の底上げが必要なのですね。では、お仕事上での社長のポリシーとは何でしょう。
納富 常にフェアであることです。開発には長い時間を要しますから、関係者と良好な協力関係を築くことが成功への鍵となります。ですから相手が誰であろうと関係なく、互いに敬意を表し、対等に向き合いながら仕事を進めていけるよう心がけています。
大石 では最後に、今後の展望を。
納富 平成20年から会社として本格始動する予定ですから、今後は人材を揃えて体制を整えていきたいと考えています。この仕事は作り手のモチベーションによって結果が大きく左右されますので、皆がやる気を持って働けるような職場づくりを行っていきたいですね。そして日々リスクを把握し、それに応じて適切なアクションをすることで一歩ずつ前進していこうと思います。地道な歩みかもしれませんが、その努力の積み重ねが、会社としての未来だけではなく、業界全体のレベルアップにも貢献できるのではないかと考えています。 |