竹原 花堂社長は、「平和食品工業」の二代目でいらっしゃるそうですね。
花堂 子どもの頃から両親の背中を見て育ったからでしょう、後を継ぐことは早くから意識していました。父はもともと養鶏場に飼料を卸す会社を経営していたのですが、そのうちに鶏卵をスーパーへ卸すようになり、鶏肉加工品の販売にまで事業を広げました。
竹原 お父様が徐々に事業の幅を広げていかれる姿を社長は見て育たれたのですね。御社に入られたのはいつ頃ですか。
花堂 大学卒業後、スーパーや食品卸会社で数年勉強したあと、当社に入りました。社長の息子だからといって特別扱いされることはなく、下積みからスタート。ルートセールスの担当となり、宮崎県下のお得意様を一軒一軒訪ねて回る仕事に携わりました。
竹原 先代はどのような方で?
花堂 先代である父は、スタッフをとても大切にする人でした。私は幼い頃から、「スタッフは宝なんだ」「人は石垣、人は城」とよく聞かされたものです。息子と言えど、会社の中では一スタッフ。先代はすべてのスタッフを同等にファミリーとして見ていましたね。
竹原 社長が後継されたのはいつ頃で?
花堂 私が代表取締役に就任したのは2004年のことです。社長という肩書きはつきましたが、周囲に対して態度を変えることもなく、以前と同じようにみんなと一緒に働いております。
竹原 経営者になられる方は、会社を背負う者として大きなプレッシャーと闘わなければなりませんね。
花堂 はい。長年経理面を支えてきた母が、先頃病気で他界しまして。2006年は母が担ってくれていた仕事の引き継ぎに明け暮れ、私と妻が経理の一切を一から勉強し直したんです。父も引退し、母も亡き今、これからは私たちの世代がしっかり会社を牽引していかなければと重責を感じています。今後は家内に苦労をかけるかもしれませんが、二人で助け合い相談し合いながら、より良い道を模索していきたいですね。
竹原 それに社長と奥様には、“ファミリー”がついていますしね。
花堂 はい。スタッフはパートさんを含めて30名で、中には14〜15年もの間勤務してくださっている方もいて心強い限りです。また工場長を務めているのは私の高校時代の後輩で、気心が知れています。ファミリーの力を結集し、どんな困難も乗り越えていきたいと思います。亡くなった母も常々言っていました─「当社のために働いてくれる人たちを大切に」と。忘れてはならない言葉ですね。スタッフに限らず、取引先の業者様やお得意先の店舗、その向こう側にいる消費者の方々─みなさんに対して思いやりの心を持ち続けたいと思います。
竹原 食に関する暗いニュースが多い中、何を大切にされていますか?
花堂 まず「安心・安全」を第一に考えるのは当然のことですね。昨今、食に関する許し難いニュースが相次いでいますが、食に対する信用は一瞬の気のゆるみから瞬く間に崩れ去るものです。地に足をつけて気を引き締め、食に携わる者としての自覚を持たなければいけません。味に対するこだわりも大切ですね。両親が築き守ってきた品質を決して損なうことなく、今後もお客様に「安心・安全」をお届けできるよう努めます。当社の加工品はすべて手作り。例えば「鶏の炭火焼き」は、店で焼くように丹念に手焼きしています。
竹原 すべて手作りとは、手間がかかっていますね。
花堂 人手もかかりますが、夏の暑い宮崎では、火の前に立つのも辛い。それでも頑張れるのは、美味しさを守りたいからです。「安心・安全」であることはもちろん、真面目に味を守り続けることも肝要ですね。
竹原 最後に、今後について。
花堂 宮崎県知事のお陰で、地鶏やマンゴーなど宮崎県の食が全国の注目を浴びるようになりました。一過性のブームで終わらせないためにも、私たちが「安心・安全」を守る努力を怠らず、商品を提供することが大切。また地域に根ざす企業として地域貢献の一役も担いたい。具体的に考えているのは、地域の雇用環境の改善。特に高齢者と障害者の雇用に県が頭を抱えているようなんです。そこで私は、みなさんが自然の中で働けるような場を提供したくて構想を練っています。地域と共に歩む企業として、ますます頑張りたいですね。 |