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三ツ木 竹内社長のこれまでの歩みをお聞かせください。
竹内 少年時代は「悪ガキ」で(笑)、随分と周囲を困らせたものです。しかし中学生からは陸上部に入り、部活動に打ち込むようになりました。将来のことについて真剣に考え始めたのもこの頃でした。
三ツ木 何か志すものがおありで?
竹内 自動車が好きでしたので将来は整備士になろうと考え、浜松工業高校の機械科に進みました。父が建築の仕事をしていましたが、兄がすでに建築分野に進んでいたため、私は別の道を選んだのです。
三ツ木 それがどうして、このように建築の道に戻ってこられることに?
竹内 どうしてでしょう(笑)。高校卒業後は専門学校に進み、一層専門的に自動車整備の勉強をしたのにもかかわらず、なぜか建設機械を扱う会社に就職したのです。その後結婚を機に退職し、父の会社を手伝うように。23歳の時でした。
三ツ木 その頃、お父様はどういったお仕事を手がけておられたのですか。
竹内 個人事業の形で、建築物の基礎や土木を請け負っていました。私自身は右も左も分からない状態で、10年の間は実務と夜学に通って勉強し、資格の取得に努めました。経営を任され会社にしたのは平成2年のこと。ちょうどバブル経済が破綻した頃で、後継から何年か経つと、次第に顧客の減少などにその影響を受けるようになっていきました。
三ツ木 建築業界はどこも苦戦を強いられていますね。その中で、竹内社長が取り組んできたこととは何でしょう。
竹内 先代の頃の基礎と土木の事業に加え、建築・設計や上下水道に業域を広げていきました。生き残るためには、お客様にとって「便利」な存在になること──他との差別化を図る必要があります。そのことを念頭に、自分たちにできるだけのことをしようと、よろずやのような存在、つまり建設業を基盤にさらに、他業種にも対応することを目標としてきました。そこで「テックダイナ」に社名を変更したんですよ。
三ツ木 「テックダイナ」の由来とは?
竹内 「テックダイナ」は「テクニカルダイナミクス」の略なんです。技術を駆使して大きくなるように、という願いを込めて、成功されているある方につけていただきました。実は私の名前も、戸籍にある本名とは違うんですよ。運気が上がるようにと、同じ方に命名してもらいました。私自身については、運気は好転しました。会社もきっと、運気が上がると信じています。
三ツ木 非常に前向きでいらっしゃるのですね。
竹内 6年前に、大きな転機がありましてね。その頃私は、静岡県商工会青年部連合会の会長を2年間務めさせていただいていました。関東地区では副会長を、全国では理事として活動し、様々な地方、業種、年齢の人と交流を持ちました。その経験は、私の視野を広げてくれました。地元の中だけに生きていると、どうしても視野が狭くなります。違う土地、違う職業で生きている人たちとの交流は、新しい視点を持つのに、大きな刺激になりましたね。そして、自分が40歳、50歳になった時にどうなりたいかというビジョンを持つようになり、何事にも前向きに歩いていきたいと思うようになったのです。
三ツ木 具体的にはどういったビジョンですか?
竹内 現在の建設業界だけでなく、幅広い活動で社会に貢献していきたいということです。「仕事」というのは、言い換えると「貢献する」ことじゃないかと思うからです。それはもちろん仕事だけに限りません。プライベートの人間関係においても常に心がけているのは、「自分良し、相手良し、皆良し」の精神。自分だけが良くてもいけない。相手と2人だけでもいけない。社会からの評価も加わって、世間からも良く思われるのが本当の良い行いであるという意味です。周囲全てが幸せになるよう、できる限りのことをしたいですね。有名でなくても一流の人間になる──それが私の目標です。
三ツ木 ぜひ頑張ってください!

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